ブッダの本名

ブッダの本名はゴータマ・シッダッタである。
ゴータマは「最も優れた牛」、シッダッタは「目的の成就」という意味がそれぞれある。
牛は現在でもインドで神聖な動物として扱われ、当時のサーキャ族でも同じように崇められていたようだ。

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ちなみに牛がなぜ崇拝されるかというと、当時牛は労働力として大変重宝されていた背景があると思う。
当時のインド(特に北部)の硬い土地を耕すには牛は必須だったようだ。さらに牛糞は肥やしになったし、バターや牛乳なども採取できた。
また、そんないいことずくめの牛から1キロカロリーの牛肉を得ようとすると、10キロに相当する穀物が必要であったそうだ。
ならば、わざわざ殺してしまうのは勿体ないとされたようである

そんな経緯もあってか、バラモン教の「マヌ法典」が編纂されて以降、その法典に従って、牛(牝牛、雄牛)を殺したものは死刑とされた。
また、家庭で牛を養い、バラモンに供養する者はいっさいの罪をも償ったものとみなされ、牛は有用で神聖な生き物とされたようである。

話は戻るが、「シッダッタ」の方は比較的新しい文献にしかでてこないため、「悟りを成就した」という意味で後世に付加されたものとも考えられている。

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覚者の称号

ほかにもブッダには仏の十号のような多くの呼び名がある。
その多くはやはりゴータマが悟りを開いたあとに付けられた。(当然か。笑)
まず、代表的なものはブッダであろう。
ブッダとは、「目覚めた人」「悟った人」の意味であり、もともと仏教以外でも理想的な修行の完成者をさす名前であった。
また、漢字の仏陀はその当て字(音写)である。

如来もまた、「心理の世界へと到達したもの」を意味する。
釈迦如来の釈迦というのは、ブッダの出身部族サーキャ族を音写したものである。

釈尊は、釈迦牟尼世尊の略称になる。
牟尼とは「聖者」の意、世尊は「この世で最も尊ばれる」という意味である。つまり、釈迦牟尼世尊とは「サーキャ族から出たこの世で最も尊ばれる聖者」ということになる。
また、成仏以前(仏になる前)のブッダは、菩薩(覚りを求める生き物)という風に呼ばれることもある。

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ここまで書いておいてなんだが、実際にブッダが生きていた当時は、周りから親しみを持って「ゴータマさん」と呼ばれていた可能性もある。笑
(ちなみにわたしはこの説を支持している。)

ただ、ゴータマさんはこのように言いました(漢字で書くと、爾時世尊)だと締まりがないのは確かである。

確かに仏教は仏の教えでなくてはならないので、「ゴータマさんの教え」ではハードルが低過ぎるのか。ブッダの滅後、教団として変わっていくにともない、教えの中でゴータマと呼ぶのを改めさせていく。
後の経典では、ブッダが自分をゴータマさんとか君とか言ってはいけないと言ったという記述がある。

ここには宗教特有の教祖を神聖視して、教団を権威化させようとする思いも見えなくはないが…。

どうでしょうか、ゴータマさん。

・「インドにおける畜産と宗教・文化の影響」神谷 信明:http://www.gifu-cwc.ac.jp/tosyo/kiyo/52/zenbun52/India_kamiya.pdf
・「食の歴史その25~ヒンズー教はなぜ牛を神聖視するのか?~」:https://028a1206181421.wordpress.com/2012/07/07/%E9%A3%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92%EF%BC%95%EF%BD%9E%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BC%E6%95%99%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%89%9B%E3%82%92%E7%A5%9E%E8%81%96%E8%A6%96/