およそ二千年ほど前、仏教界に登場した新しい波、大乗仏教。
出家至上主義ではなく、より多くの人を救うための理想が詰まった経典が維摩経である。

Vimalakirti Sutra - Wikiwand

主人公維摩は俗世に暮らしながら、ブッダにも知られるほど徳の高い在家信者だった。
型に捉われない維摩は、驚くべき方法で人々を導いていく。

それはみずから病いに臥すこと。

今回は維摩経のエッセンスをピックアップしてみていこう。

 

維摩経について

Vimalakirti Sutra – Buddhism now

維摩経は紀元前1〜2世紀頃につくられた。

現存しているのはサンスクリット語(8世紀の写本・1999年に発見された)ものとチベット語訳と漢訳の3種類がある。

さらに漢訳のなかには7種類ほどあるが、鳩摩羅什(くまらじゅう)が「維摩詰所説教」(5世紀初頭)として翻訳したものが一般的である。

維摩経は初期大乗仏典のひとつで、ストーリー仕立てになっており、旧来の仏教の固定観念を批判し、在家者の立場から大乗仏教の軸たる「空思想」を高揚する。

前述したが、主人公である維摩は、ブッダの弟子でも菩薩でもない、ただの徳の高い在家信者だ。

多くの経典では、ブッダや弟子の出家者が主人公なのに対し、一般の出家していない仏教徒が主人公であるところも、この経典の大きな特徴だ。

 

教えに執着しない仏教

伝統的な出家して戒律をカチカチに守る小乗仏教に対し、大乗仏教は革新的であり、出家しなくても悟れるという教義を打ち出した仏教史上最大の宗教改革ムーブメントだった。

このように仏教ではひとつの体系が打ち出されると、そのカウンターとして新しい体系が生まれるという流れを繰り返してきた。

 

そこには苦しみの原因である執着を捨てる為には、「教え自体にも執着するな。」というブッダのぶっ飛んだ教えに遠因がある。

The Klein boys built a raft out of boards from a doghouse. Check ...

例えば、「中阿含経」には、
「私の教えは川を渡るための筏(いかだ)のようなものである。向こう岸に渡ったら、筏を捨てていけばよい。」(byブッダ)

つまり、仏教という体系の中に、自己否定の装置が組み込まれているということである。
仏教は「脱洗脳システム」を内臓しているのだ。

 

ファイル:2〜3世紀のPrajnaparamita stotra、大乗仏教のテキスト、サンスクリット語、パラベンガル語-ネパール語のscripts.jpgの10世紀の原稿

そのため、仏教内部ではカウンターカルチャーが起こりまくる。

例えば、出家中心の初期仏教が確立すると、在家者中心の維摩経のような大乗仏教運動が萌芽した。
この大乗仏教から、「空」という最強の理論が発達すると、実践を重視したヨーガ(瑜伽行)の教えが巻き起こる。
そして、実践や緻密な理論を通して心の観察が体系化されると、ぶっ飛んだ密教のような超神秘思想が爆誕するなど、
仏教が誕生してからこの二千年以上もの間、次から次へと既存の体系に対するカウンターカルチャーが生みだされ続けてきた。

 

このイカれた脱洗脳システムを作り出したのが、ブッダ本人だったということだ。(←こら!言葉が過ぎるぞ!)

また、仏教が分かりにく過ぎる理由もここにあるといっても過言ではないだろう。

さて、話を戻そう。
維摩経も大乗仏教のひとつだったわけだが、大乗仏教にはいくつか主要なコンセプトがある

 

菩薩道

The difference between the Buddha, Bodhisattva, and Arahant

菩薩とは、悟りを求めてる生きものという意味で使われたり、悟りに対する志願を持つ人という意味で使われたりする。
(これは菩薩(ボーディサットヴァ:bodhisattva)のbodhi が「悟り」であるが、sattvaが「生きもの」「心」「志願」という複数の解釈があることによる。)

大乗仏教では、悟りを求めて歩む人は、すべて菩薩という定義になる。
また、この場合の悟りは「この上ない完全な悟り(anuttara-samyak-sambodhi)」とされ、ブッダと同じ境地を目指していることを表している。(小乗仏教では、ワンランク下の阿羅漢の悟りを目指すとされている。)
優れた修行者だけではなく、誰もが悟りを開けるのが大乗仏教というわけだ。

 

「空」の理念

初期仏教での「空」はそんなに複雑な考えではなく、「からっぽ」や「無い」の意味だった。「空」を厳密に語り出すと長い(一旦、全てのことばや概念を否定しなければならない。)ので、ここでは「実体がないこと」としておこう。

大乗仏教の空は、例えば「浄と不浄」、「幸福と不幸」、「善と悪」など、二項対立を解体する理念として発達した。

裏紙で申し訳ないが下図のように、紙に縦線を引き、それぞれ対立概念を書き込んだとしよう。

このようにみると、ひとつの概念はかならず他の概念を伴うことがわかる。

例えば、右という概念は、左(右以外)の対立概念である。左(右以外)があるから右が成り立つ。逆にいうと、右は右だけで独立して存在しないということである。

不幸があるから幸福があるし、善があるなら悪もある。

他にも、黒人がいるから白人がいる。全員が白人だったら、わざわざ白人と区別せず、「人」と呼ぶはずだ。もし、世界がすべて英語だったら、英語ではなく「言語」とするだろう。

つまり、あらゆる概念(概念を通して認識する物質も含む。)は、他の概念との関係性によって、仮に成り立っているということだ。

この図でいう空とは、様々な概念が浮かびあがる前の0の状態、ものごとを分ける前の真っ白な紙の状態である。

よく仏教の指摘する人間の過ちは、ものごとをことば(概念)を通して分別し、その認識を実体化して執着してしまうことである。

仏教はあらゆる物質や概念を、関係性(縁起:縁によって起こる)によって説明し、画一的な実態(本質)は無い(空である。)と考える。

 

例えば、「幸福とはお金持ちであることだ」、と感じている人がいたとしよう。その人はお金が失われてしまうと不幸になると思い、「貧乏」に対して「金持ち」であることに執着をする。

しかし、例えば楽しさを第一に考えている人からすると、お金がたくさんあっても楽しくなければ意味がない。

また、美しさや健康のためならお金を厭わない人もたくさんいるし、犬猫にとっては食べることのできない札束はふわふわの地面と同じである。

さらに、具体的なお金持ちの定義(金額)すら、ビルゲイツとホームレスではまったく異なるだろう。

このように、「お金持ち」の中身は、それを認識する主体によって異なる、実態が定まらないものなのである。

それが理解できず、貧乏とお金持ちという優劣の価値観から抜け出せない場合、お金が無くなったら、常に苦しまなければならない

これは、人気、美貌、エゴ、正義、善人でいたい、賢いと思われたい、オシャレだと思われたい、特定の物質や人物への愛慾など、とにかく何にでも当てはまる。

空思想はその苦しみから抜け出すため、既存の価値観を解体して、新たな価値観を生み出すことを可能にする。まさに脱洗脳システムなのだ。

 

では、空によって新たな価値観を生み出すとは例えばどういうことか。

Banksy Injured Buddha, Graffiti Street Art – Print on Metal

交通事故に遭い、下半身不随になって絶望してしまったスポーツマンがいたとしよう。その人にとって、事故は不幸なことでしかなかった。

散々絶望に耽ったあと、テレビでパラリンピックで活躍する人が障害をものともせず、活躍しているのを目の当たりにした。

自分も挑戦して、同じ障害を抱える人たちの希望になろうと決意した。

この時、スポーツマンは、事故の障害を、自分にとっての不幸から他人を励ますきっかけに転換したことになる。

さっきの図だと、線を消して、引き直す。ものごとの捉え方を変えるのだ。(右左としてみていたものを、上下に変えてみた。図がチープすぎて申し訳ない。笑)

繰り返しになるが、このように「空」とはものごとがそれ自体で固定した実体がないこと(無自性)を指すのだ。

 

他者性と社会性の重視

The Buddha's First Sermon Gandhara region, North-eastern Pakistan ...

ブッダが悟った時に、人にこの教えを説くか迷った。結果、ブッダは人々の中に入る道を選び、生涯教えを説いて回った。

このことをふまえて、大乗仏教は本来の仏教は人々と関わるものだったと主張し、これまでの保守的な出家主義を批判し、他者性と社会性の重視した。

(ちなみに筆者は、悟りをどこまで他者にシェアするかというテーマは、割と大きいテーマだと考えている。いったん、自分だけの結論をいうと、適当(気のあう人)に伝えるのがいいんじゃないかな〜とか思ってる。)

 

では!ここでさっそく「維摩経」を見ていこう!
と思ったが、前置きが長くなり過ぎたので、また来週だ!