ゴータマ・シッダールタは仏教を創始した人物だ。

ゴータマに関しては、存命中に書かれた彼の文献がほぼ無い為、情報を確定させることが難しい。

彼の伝記は亡くなってから数百年後に書かれたものしか残っていないのだ。

今回の記事では、明らかに非現実的な伝説を除いて、彼の生涯と思想の概要を紹介したい。

 

Baby Buddha Mother Painting by Arttantra

紀元前6〜5世紀頃、ゴータマ・シッダールタはインドとネパールの国境近くのシャカ族(釈迦族)のスッドーダナ王の息子として生まれたと推定される。

母のマーヤー夫人は、彼を出産して7日後に亡くなり、母の妹であるマハープラジャーパティーが彼を育てることになった。16歳の青年になったゴータマは母方の従兄弟にあたるヤショーダラーと結婚して一人息子のラフーラを儲けた。(ブッダの家族について、ブッダの家系という記事で書いてますのでよかったら見てみてください。)

 

一説によると釈迦族の国はインドでも裕福な国だったらしい。例えば、お城の使用人は酸っぱいお粥などの食事を支給されるのが普通なのに、釈迦族の城では米とお肉が与えられていたらしい。

もちろん、その中でもゴータマは特別で、彼の為に夏用、冬用、雨季用の3つの宮殿が用意され、そこで女性の世話役に囲まれて過ごしていたそうだ。

そんなスーパーお坊ちゃんゴータマは29歳になった時、家の4つの城門から出て、老人、病人、死人を目の当たりにして生きることの苦しみを知ることになる。(四門出遊

ゴータマはそこで出会った静謐な修行者の姿を見て出家を決意した。

ただ、「贅沢な境遇を捨てて、真理を求めて出家を決意した」というと、とても尊いことのように思われるが、当時のインドでは裕福な家の若者が出家することは割と一般的だったようだ。(例えば、ブッダと同じ時期にジャイナ教を開いたマハーヴィーラも、一国の王子だった。)

これは言うなれば、自分探しの旅や留学のようなもので、学問や技術を求めて遠い都や外国へ行くのと通じるものがあったのだろう。家族の反対を尻目にバックパックひとつで貧乏旅行をするようなものだったのだと思う。

 

Dakini Murals and Public Art

さて、ゴータマはいかに人間の苦を乗り越えることができるのか、その答えを求めて妻子を残し、お城を出て行く。

明け方、アノーマー川に着くと、身につけていた装飾品と馬をチャンダカに渡し、自ら剃髪をし出家者の衣に着替えた。宮廷に戻ったチャンダカはゴータマの出来事を王に報告すると、王妃や妻ヤショーダラーはやはり悲しみに沈んだといわれている。

 

PIC AND HISTORY

悟りを求めて修行を始めたゴータマはアーラーラ・カーラーマウッダカ・ラーマプッタという2人の仙人を訪ねて、かれらの体得した禅定(瞑想)を修得した。しかし、彼はそこで瞑想という方法は会得できても、真理を得るという目的は達成できなかった。

 

File:Buddha walking away from ascetics who torment their bodies ...

さらに、ゴータマは遊行してウルヴェーラー地方のブッダガヤに行った。そこにはバラモン教の行者たちが集まる林があり、そこで彼らと共に6年間に渡る苦行生活に入った。

一日ゴマと米を一粒ずつにする断食、長時間息を止める無息禅、夏照り返す太陽の下での瞑想、冬は凍りつく川での沐浴、夜中猛獣が彷徨く場での瞑想など、自らの肉体を燃やしつくす過酷な修行をおこなったが、それだけ過激な苦行をしても悟りを得ることはできなかった

 

The Buddhist Times: SIDDHARTHA's NOBEL SEARCH FOR THE TRUTH

骨と皮のように痩せ細ってしまったゴータマは苦行の無意味さを知り、河で体を洗って、ビッパラ樹(菩提樹)の下に座った。

そして、村の娘スジャーターからもらった乳粥を飲み少し回復した。それを見たバラモンの5人の比丘は、そんな修行を投げ出してしまうようなお坊ちゃま育ちの根性無しを受け入れることが出来ず、彼の元から去っていった。ブッダはその場で瞑想に入った。

 

The Life Story Of Buddha And The Significance Of Wesak Day | Astro ...

もし、ゴータマが頑固で頭が悪ければ、苦行を続けた末そのまま死んでしまっていただろう。しかし、彼には苦行の無意味さを理解し、『こだわりを捨てる』賢さと柔軟さがあった。

そして、ゴータマは深い瞑想の末、真理を発見した。

これは推測にすぎないが、世界をありのまま観察することによって、過去も未来も現在も変わらない永遠のいまを生きることが悟りによる宗教的境地だと思う。

また、悟りの説明としては、『縁起』を押さえておくのがもっともいいだろう。

端的に縁起とは、全てのものごとは関わり合いの中で成り立っており、独立して永遠に存在するものはひとつも無いということである。

(詳しくはこちらの記事永遠の生命とは何か(仏教の立場から)に載っているので、是非併せてご覧ください。)

 

Shakyamuni | Soka Gakkai International (SGI)

その中で彼は、人間の苦しみの原因は執着にあると考えた。執着するのは言葉による分別があるからである。言葉による分別によって、本来は区別できない世界の事象をそれぞれ静止像のように切り取ってしまい、それらがあたかも実在するかのように想定してしまうことによって執着が生じてしまう。その分別による誤った認識を理解して、執着を乗り越えようと考えたのだ。

 

更に、ここまで言っておいてなんだが、この「悟り」や「真理」と言う概念自体、ことばによって虚構されたものである。また、概念だけではなく、私自身やいま目の前にある机、コップなど、すべての実在は我々のことばによって仮に現れているものである。

繰り返しになってしまうが、まずこの世界には永久不変のものなど何ひとつ無く(無常)、すべての実在や概念はそのほかのものとの関係性によって仮に成り立っている。(縁起

例えば、すべての食器がコップであれば、それをわざわざコップと呼ばず、食器と呼ぶだろう。机といっても座れば大きな椅子になることもあるし、壊してしまえばただの木材になってしまう。また、私は私以外のすべてのものとの区別で成り立っている。私は死んでしまうと灰や土になり、風とともに運ばれて消え去ってしまうだろう。コップや椅子や自己など、すべてのものには画一的な実体・本質は無いのだ。(無自性

概念も同じように、幸福があるから不幸があり、綺麗なものがあるから汚いものが成り立っている。善悪、光と影など、すべての物事は関係性によって仮に定義づけされている。

これらの区別・実在・概念は、本来は分別できないものをことばによって分けることで幻のように成り立っており、やはり本来は実体がないものである。(

このことが理解できれば、ことばによる全ての区別・事象から自由になり、極端に偏った考え方からもたらされる苦しみから離れることができるようになるだろう。(中道

さて、ブッダ(悟った人)となったゴータマは、ことばで表現できない真理を、ことばを使わないと人に共有できないというジレンマを抱えながらも、なんとか自ら悟った内容を人々に伝えることに決めた。(このジレンマについて、二諦説と梵天勧請に詳しく取り上げられています。)

故に、ゴータマの教えには体系的な教義はない。その時々によって説く相手に応じて説き方を変えたといわれている(対機説法)。最古層の経典スッタニパータには以下のような記述がある。

わたしはこのことを説くということがわたしにはない。諸々の事象に対する執着を執著であると確かに知って、諸々の偏見における誤りを見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたしは見た。」(スッタニパータ,837)

また、河を渡ったあとは捨てられる筏(いかだ)のように、悟りを達成した後は、ゴータマの教えですら捨て去られるべきものに過ぎないともいっている。(マッジマ・ニカーヤ,22)

少し話が長くなってしまったが、仏教には絶対的な教義など無いという点をよく踏まえた上でブッダが説いた教えをみていこう。

 

Turning the wheel…. – BuddhistRonin – A personal journey through ...

ブッダはまず、かつての師匠たちに自分が発見したことを伝えようとしたが、2人はすでに死去していたことを知った。

そこで、以前に苦楽を共にした5人の比丘に会いにサールナートに行き、初めて人に法を説いた。(初転法輪

その説法の内容は、『四諦』と『八正道』を中心とする教えとされる。

四諦とは、苦(生きることは苦しいこと)、集(苦しみの原因は自らの作り出す執着であること)、滅(その苦しみを滅することができること)、道(滅するための実践方法のこと)の4つの真理をさす。

(出典:仏教(四諦、八正道) – 慶喜

また、八正道とは上の図にあるように、四諦説の中の道諦に含まれる実践である。

プラユキ・ナラテボー(公式) on Twitter: "仏教の三学と八正道の関係 ...

(出典:プラユキ・ナラテボー(公式)さんのTweet

 

さて、その後80歳で入滅するまでの45年間、ブッダはマガダ国やコーサラ国などを中心に教えを説いて回った。

ブッダの説法を受ける弟子たちは次第に増加していき、出家者で組織される教団が誕生した。

教団の構成員たちは、在家者から寄進された土地に簡素な精舎を建てて暮らした。
有名な精舎に、祇園精舎や竹林精舎などがある。

仏陀の入滅 Instagram posts (photos and videos) - Picuki.com

晩年、ブッダがクシナガラで入滅した後、彼の遺骨は荼毘(ダビ)にふされ、残った遺骨は分けられそれを祀った仏塔が建てられた。

仏滅100年後、僧団は分裂し、上座部、説一切有部、経量部といった部派仏教の時代を経て、全インドに広まり始める。

紀元前後に大乗仏教運動が興り、浄土思想や中観思想、瑜伽行唯識思想、如来蔵思想などが生まれた。
また、5世紀ごろから大乗仏教の空思想を基盤とした密教運動が興った。

 

おわり。

※この記事の悟りに関する言語哲学的な考察は、後世のナーガールジュナ(龍樹)の解釈をベースにしてます。

※ブッダの解釈について、彼の教えや人格を近付き難いものに権威化されるきらいが往々にしてあります。その点にも留意して記事を書くことを心がけましたが、筆者が専門家ではないので、やはり全般的に記述が正確ではないかもしれません。もし、誤りがあればご指摘いただければ幸いです。

※前の記事で取り上げた『ウパニシャッド哲学』との主な違いは、ウパニシャッド哲学ではアートマン(我)を説くのに対し、仏教では「無我」を説く点です。ウパニシャッドでは、アートマンを実在する対象として捉えています。また、アートマンを追求することで、他の欲望を捨て去るという出家のスタイルを取っています。それに対して、仏教では、広義には「見聞思識」される愛しきもの(アートマンを含む)について欲望を取り除くことを説いていて、アートマンのような形而上学的実在にも執着しないように教えているのだと思います。(無記説など)

参考文献:
・「ブッダ伝〜生涯と思想〜(中村元)」
・「インド思想史(中村元)」
・「ブッダの教え(黒木賢一)」
・「原始仏教における死の超克(金漢益)」
・「ブッダはダメ人間だった(大村大次郎)」
・「インド・中国・日本 仏教通史(平川彰)」
・「仏教史研究ハンドブック(佛教史学会)」
・「インド仏教哲学史(山口瑞鳳)」他