K Mack – In Baltimore

HipHop-TheGoldenEra: Jay Funk - The Baltimore Archives 1993 -1996

なんとなく、K Mackはボルチモアの顔だと思っている。その理由は彼自身が有名というよりも、彼の周囲の動きを巡って様々なボルチモアの重要人物が動き出すからだ。(←特にJay Funk。)

Kevin “K Mack” Mackは、1973年7月23日にメリーランド州ボルチモアで生まれた。ボルチモアの公立学校に通い、彼は音楽への活動を始め、学校や地元のタレントショーに参加して、身近なコミュニティでの露出をはじめて行った。
1992年、KMackは最初のデモテープを他の2人の幼なじみと一緒にドロップして、「Force of Terror」を立ち上げた。それから1994年、彼は別の友人たちと “Dome Swella’z”と呼ばれるグループを立ち上げた。彼らは市内のラジオによって知られるようになっていった。

1994年後半、KMackは地元のプロデューサーである「Jay Funk」と6曲のデモで4か月間活動を行った。この活動により、彼らは「Concrete&Wiz Foundation」と呼ばれるボルチモアのDJ Concreteが運営するローカルインディペンデントレーベルとの契約を結ぶに至った。
K-MackとJay Funkの伝説の始まりだった。

 

Silouette [The Annexx Click] – Blessin Me

Silouette [The Annexx Click] – Blessin Me (2013)

K-MackとJay Funkを擁する「The Concrete foundation」は、この「Silouette」という女性ラッパーと契約する。K-Mackは彼女とのデュオとなる「The Annexx Clique」を立ち上げた。The Annexx Cliqueは、1994年にストリートの反応を見るためにまずデビューアルバムを出した。結果についてはどこまで誇張されているかわからないが、大体どの英サイトをみても「The Annexx CliqueをPlayしていない車は走って無かった。」と書かれている。
地元の人々から示された愛情もあり、1995年にThe Annexx Cliqueは本格的に活動を開始し、数々の傑作を生み出していくことになった。

Sparrow The Movement – The Chase

Sparrow The Movement – The Chase

もう確実にボルチモアHIPHOPの伝説的存在。日本でもアングラ好きの間ではかなり有名だ。
しかし、実は日本で有名になったのは訳がある。なんならそのおかげもあってSparrowのレコードの価格が高騰したんじゃないかと思ってる。
もう亡くなってしまっているが、アングラのMIXシリーズ、「Underground Railroad」に周りのDJからお願いされてひとつだけmixを出したDJ Trooperzという方がいた。
実は、Trooperz氏は元々バイヤーだった。そして、当時誰も知らないSparrowの家にいってすべてレコードを買い占めて日本にばら撒いたらしいのだ。(恐らくレコードに書いてある電話番号などでアポを取ったのだろう。)
そこでSparrowが評価され、今の伝説的な評価を受けるに至った。
筆者自身もTrooperzに受けた影響は多かれ少なかれある。本当に惜しい人を失った。

 

S.C.U. – 123…

S.C.U. – 123…

めちゃめちゃILLなトラックに、ラップの入り「Bitch Nigga!」から馬鹿みたいにカッコイイ。
ボルチモアを拠点とするMaster Sと、Shahidのデュオ「S.C.U」
1996年、Mad Skunk Recordsからリリースされた。
Jay Funkプロデュースの重く沈みこむ太いビートに、スモーキーな2MCのラップが絡み合う。質の悪い音源がいい味を出すまさにアンダーグランドクラシック。

 

Mr. Ruckuz – Underground Anthem

Mr Ruckuz – Underground Anthem

ボルチモアのアンダーグランドシーンでも極度の異彩を放つ「Mr. Ruckuz」
音の擦れかた。ラップの乗せ方。リリック。どれをとってもアンダーグランドの最高峰と言っても過言でない逸材だ。
彼ははじめ、「Syco」または「Madd Syco」と名乗っていた。
1994年に「Madd Syco / Marked For Death」、1995年に「Death Splittin Wigz EP」を、いずれも「Versatile Records」からリリースしている。
やがて、1998年に「The Verdict」でMr.Ruckuzと正式に名乗るようになった。 本作は、Madd Versatile Recordsでリリースされ、Jay FunkとRuckuz自身により作曲された。また、このEPは、Carlos Jones、Kalid Johnson(Ruckus)、また彼の兄弟であるCorey Johnsonがプロデュースした。
彼の身内も含め、最高のメンバーで世にこの傑作を送り出した。